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日本の『LGBT』年表

昨今では「ユニバーサル・デザイン」といって、障害の有無や老若男女の違いに関わらず、もともとの社会のシステムを誰でも使いやすいようにあらかじめ設定しておこうという考え方が提唱されることがありますが、「性」の扱いについても同様に、あらかじめ当事者がいることを想定するのが望ましいでしょう。具体的には、外部の専門機関や団体などと連携しながら、現実的な範囲での対応についてふりかえりLGBTについて検討していくことが期待されます。下記に、日本における日本のLGBT年表をまとめてみました。

年表

1880年(明治13年) - 1872(明治5)年の「鶏姦律条例」及び、翌年の「改定律例」では男性同士の鶏姦(肛門性交)が犯罪とされたが(後者の第266条では懲役刑)、1880年制定の旧刑法には鶏姦禁止規定は盛り込まれず、1882年1月1日同法施行で鶏姦罪消滅。

1952年(昭和27年) - 会員制ゲイ雑誌「アドニス」創刊。

1960年(昭和35年) - 男性同性愛専用ページが常設された「風俗奇譚」創刊(61年から女装専用ページも常設) 。

1971年(昭和46年) 東郷健が同性愛者であることを公言して参院選に初立候補。ゲイ雑誌「薔薇族」創刊。

1974年(昭和49年) - ゲイ雑誌アドン(5月号)、さぶ(11月)創刊。

1976年(昭和51年) - 11月、ゲイ団体「日本同性愛者解放連合」結成、10人近いグループで数年間活動。

1977年(昭和52年) 3月、ゲイ団体「フロントランナーズ」結成、6人前後で数年間活動。5月、既成のゲイ雑誌に不満を持つ人たちが、ゲイリベレーションを編集趣旨としてゲイマガジン「プラトニカ」発刊。のち同誌を母体に「プラトニカ・クラブ」結成し、79年に最終4号を出して解散。

1978年(昭和53年) - TBSラジオ『スネークマンショー』の「ウェンズデースペシャル」というコーナーをゲイの「タック」が担当。ニュースレターが出され、OWC(アワーズワークコミュニティ)というゲイグループも生まれた。

1979年(昭和54年) 東郷健が「雑民党」の前身の「雑民の会」を設立。3月、プラトニカクラブから数人が参加して「JGC」(ジャパン・ゲイ・センター)結成し、ミニコミの「GAY」を8号まで、「CHANGE」を2号まで出すも82年解散。JGCはミニコミをメディアや文化人に送付したり、差別的な報道に抗議したりした。

1981年(昭和56年) - 日本在住の外国人ゲイによる「イングリッシュ・スピーキング・オルタネート・ライフスタイル サポートグループ」結成。途中で日本のゲイにも参加してもらおうと「東京ゲイサポートグループ」に改名し、84年頃から機関誌「COMING OUT」を発行し、TEL相談、月数回のイベント開催を行う。

1983年(昭和58年) サークル「CLASS」結成。それ以前から別名で活動していた、ティーン中心のゲイサークル。友達同士のような関係をつくり、ゲイの悩みを皆で解決していくことを目指した。会員数は40人程(当時)で東京・赤羽と大阪(所在地は尼崎)に本部があった。赤塚不二夫「ニャロメのおもしろ性教育」(西武タイム)発売。同書7章で同性愛などが肯定的に取り上げられる。

1984年 IGA(国際ゲイ協会,現ILGA)日本支部発足。アドン編集長南定四郎氏がIGA(欧州に本部を置くゲイの国際団体)から依頼を受け、日本支部として活動開始。同年9月、IGA大阪発足、のちOGC(大阪ゲイ・コミュニティ)に改称。

1985年(昭和60年) - 東大阪市長瀬に「上方DJ倶楽部」発足。DJ形式でトークなどの様々な催しをカセットテープに収録し、ゲイのイメージ向上とアピールを目指した。

1986年(昭和61年) 3月、OCCUR結成、のち「動くゲイとレズビアンの会」(通称OCCUR)と名乗る。5月1日~3日まで、IGA(現ILGA)日本(代表・南定四郎)が「第一回アジアゲイ会議」開催。

1990年(平成2年) - 「東京都府中青年の家」に宿泊した「動くゲイとレズビアンの会」のメンバーがキリスト教団体らから差別・中傷されるなどトラブル発生。同施設所長や都職員も不適切な対応。その後、翌年に予定していた二回目の宿泊の申し込みを拒否される。 1991年(平成3年) - 2月、東京都府中青年の家裁判が起こされる。

1994年(平成6年) 厚生省が同性愛を治療の対象から除外したWHOなどの見解を踏襲。文部省が指導書の「性非行」の項目から同性愛を除外。8月、ゲイ・パレードが日本で初開催される(フィリピン《6月》に続きアジアで2番目)。ゲイ雑誌「Badi」創刊。GAY-FRONT関西(現G-FRONT関西)発足。これ以前から「ぷあぷあ」など現G-Front関西の構成グループは活動していた。

1995年(平成7年) 日本精神神経学会が同性愛を治療対象から除外したWHOの見解を尊重すると発表。因みに米精神医学会が同性愛を精神障害とみなさないと決議したのは1973年。ゲイ雑誌「G-men」創刊。

1997年(平成9年) - 東京都府中青年の家裁判で控訴審判決。動くゲイとレズビアンの会の訴えが認められ結審。

2003年(平成15年) 上川あやがトランスジェンダーを表明して世田谷区議会議員選挙に当選。日本で初めてLGBTの地方議員が誕生。同年秋より都市再生機構が同性間のカップルにも住宅の貸し出しを認める。宮崎県都城市が全国で初めて同性愛者の人権を明記した条例施行。8月、東京・新宿二丁目にLGBTコミュニティセンター「コミュニティセンターakta」開館[6]。9月14日、「レインボーマーチ札幌」で上田文雄市長がスピーチをし、LGBTのイベントに参加した初の自治体首長になった。

2004年(平成16年) - 性同一性障害者特例法成立。

2005年(平成17年) 大阪府議会議員であった尾辻かな子がレズビアンであることを公表。9月、大阪市でも同性間カップルに住宅の貸し出し認める。レインボーマーチ札幌に北海道知事・高橋はるみのメーセッジが寄せられる。

2007年(平成19年) - 第6回東京プライドパレードに初めて厚生労働省と東京都が後援につき、渋谷区と新宿区の区長からメッセージが寄せられる。

2011年(平成23年) - 石川大我が東京都豊島区議会議員に、石坂わたるが同中野区議に当選。

2013年(平成25年) - 尾辻かな子が参議院議員に繰り上げ当選。日本で初めてLGBTの国会議員が誕生。